「外、出たいなぁー」
誰もいない部屋の中。夢の中でなら仲良く皆と遊んでいるのに、目が覚めて後ろを振り返ると暗い闇が大きな口をぽっかり開いてせせら笑っている。
男は自分で呟いた言葉すべてがその闇に吸い込まれていくことが虚しくてしょうがなかった。
「……なんだよ」
ポツリ。とまた漏らす一言。
誰にも聞かれず消えていくだけの男の言葉。
闇はすぐ傍までやってきていて、ともすれば男をも呑み込みそうな気配を感じる。
きっと闇が男を蝕み、飲み込んでしまっても誰にも知られず、寧ろ喜び勇む人たちに溢れかえるのだろう。
現実に男は寂しげに笑みを口唇に乗せるだけで、小さな吐息で冷たい空気を震わせた。
男の名は――――――――――
カカシ。
又の名を厄災の種≠ニ呼ばれた。
夕暮れ時の、一日の中で一番物寂しい瞬間。その瞬間を見ることが唯一の仕事であるかのようにカカシは食い入るように山と海の合間に沈む夕日を見ていた。
夕日が完全に沈み、陽となる昼が終わると、陰となる夜が始まる。
アメオトコと呼ばれるカカシも夜となれば外へと出れた。それも朔月に限り。
一体それがどういう意味を指しているのかも、どういう理由で許されているのかは解らない。
しかし、それでもカカシは外に出られる……。その一つの動きようもない確信に心躍るだけで、意味を深く追求しようとは思わなかった。
そして、今日はその日。
カカシは待ち望んだ日の訪れに今か今かと昂揚する気持ちを抑え切れなかった。
今日は何をしてやろう。 何をして遊ぼう。久しぶりに隣町にでも行って、酒でも飲もうか……。
イヤイヤ、やはりいつものアノ場所に行って町を眺めるのもいい。
あれやこれやと、カカシは今日の予定を立てていく。
「やーいっ、やーい。この親なしっ!」
「捨て子は山に帰れー。化け物は山に帰れーっ!」
ふっと聞こえてきた邪気のない悪意のある子供特有の声。
カカシは眉を顰め、窓枠に肘をついていた身体を起こし、下を覗き込んだ。
すると、三人ほどの十歳前後の子供がこの家の壁に向かって何やら叫んでいる。
窓を開けているわけではないので、上手く聴きとることは出来なかったが、あまり喜ばしい事態ではないと思った。
そして遂には、口では飽き足らず手を出し始めたようだ。
三人のうち、体格のいい子供が手を伸ばし、壁側から黄色い物体を引き出す。
カカシはその物体の正体を見て息を呑んだ。
「…っ!あのコは…」
手痛い扱いに服のあちこちは破れ汚れている。身体中に傷があるコトは離れているこの場所からでも容易に見て取れた。
しかし、最もカカシの目を惹いたのが………………耳だ。
引きずられ、暴行を受ける子供の耳があるはずの場所になく、ないはずの場所にある。そして、その耳の形が人間のモノではなかったのだ。
犬のような尖ったカタチに髪の色と同じく、夕日に照らされて金色に輝いている。
「なんっ……て…」
なんてキレイなんだ……
カカシは口に出かかった言葉を呑み込んだ。
窓ガラスにへばりつき、子供の姿を喰い入るように見つめる。
その間にも子供たちの容赦ない悪意の行動は止まない。
通りがかる大人たちも見て見ぬふりで、しらんぷりだ。
金色の子供も頑張って反撃をするが多勢に無勢。遂には誰かが投げた大きな石ころがこめかみに当たり、子供はその場に崩れ落ちた。
「…っ」
ガタンッと物が荒々しくぶつかり合う音が立つ。
カカシは何も考えずにその部屋をあとにしていた。
沈む夕日はまだ地上を照らしている―――、
* * * * * * * * *
―――イタイ…ってばよ…
身体中が、心が…悲鳴を上げ続けている。
今日は一ヶ月のうちで特別な日。
そう思うと、今日の夕日が一層キレイに見えた。
だからなのかもしれない。普段なら考えもしなかった行動に出てしまったのは。
月に一度の、見ることのできる幻想的な光景。
月に一度、見かけることのできるキレイな人。
その人を自分から捜してみようと思ったのは今回が初めてであった。
その手痛いしっぺ返しがコレである。
―――イタイ…
山を降り、町に入った途端絡まれた。
わけも分からず、どつき回されるのには慣れていたハズなのに、今日が特別な日だと思っているだけに痛みは倍増する。
悔しい。
素直に思える感想。
何もかもに対して悔しい。
自分が何をしたというのだろう。
生まれた時からこうであった。
自分の容姿が人に不安や恐怖、不気味さを与えていることに気づいたのはいつだったのだろう。
気づいた時はショックだった。そのショックから立ち直ることはなかなか出来なかったのだけれど、自分にひとつの希望が持たされた。
それが月に一度見かけることのできるキレイな人。
その人を捜しに来てみれば、この仕打ち。
やはり、自分には幸せになる資格がないのだろうか…。
子供は目を閉じて、どくどくと流れ落ちる温かい液体を他人事のように感じていた。
死ぬんだろうか……。
このまま殺されてしまうのだろうか……そう思って、目を閉じる。
頬に当たる冷たい無数の感触に、妙に火照った身体が冷やされていく。
雨だ。
その感覚を気持ちよさそうに受け止めながら、子供意識はそこで途切れた。
* * * * * * * * *
バンっ!
大きな音をさせて、外に出たのは今さっきのこと。
突然のカカシの登場にそこらを行きかっていた人たち、及び金色の子供を取り囲んで暴行を加えていた子供たちが全員、動きを止め、呆然とカカシを見た。
カカシは無言のまま、固まる子供たちに向かって歩き出した。
「な、なんだよっ……」
「黙れ…」
静かな言葉とともに陽の光に当てられ、カカシの髪と瞳が白銀に輝く、
キラリと不気味に光るその雰囲気に子供たちは固唾をのんでカカシのする事を黙って見守る事しかできなかった。
カカシはゆっくりと、なるべく振動を与えないよう金色の子供を抱き上げる。
見れば、窓からでは判らなかった傷がはっきりと見えた。
今先ほど傷付けられた真新しいものから、いつから付けられたものか判別のつかない傷跡に、小さな切り傷がたくさん。
一体どれほどの暴力をこの小さな身体に受け止めてきたのだろう。
「……」
カカシは突然襲ってきた言いようのない気持ちに、眉を顰める。
「…あ、アンタっ!わかってんのかよっ。そいつは…っ化け物なんだぞっ!」
微動だにしない、カカシに子供たちは痺れを切らし、カカシに喰いつく。
「だから…?」
“化け物”
と聞いてカカシは何かがすとん、と落ち着くのを感じた。
―――
俺と同じ…。
「だから…って…、」
“化け物”
という一言で周りにいる大人たちはビクっと動揺を示したのに対し、目の前にいる男は平然とそれを受け止めた。
口走った、子供はカカシにいよいよ、不気味さをとも言えぬ不安を顔に広げていく。
ゴロゴロゴロ………っ
さっきまでの天気の良さはどこへやら…。
雷とともにスコール。突然の天気の変わりように、町中の人たちは慌てだす。
―――ただ一人をのぞいては…
「化け物…?だからなんだって言うんだ」
ポツリ、ポツリと落ちる雫から流れるように変わる水の動き。
「お前たちが勝手にそう呼んでいるじゃないか…」
ゆっくりと言い紡ぐカカシの言葉に、今まで知らない顔をしていた大人たちの誰かがはっとしたようにカカシの正体に気づく。
「アメオトコだ……」
「えっ?」
「なんだってっ?!」
ざわっっ、と空気がざわめき一気に辺りが騒然とした雰囲気に包まれる。
「アメオトコだってっ!?」
「なんで外に出ているんだっ」
「今日は朔の日だ!」
「…っでも!出れるのは夜だけのハズだっ!!」
「じゃぁ…―――」
“なぜこの場にイル……?”
誰もがそういう顔をしてカカシを見た。
誰も、雨に濡れる事に気にせず。
誰も、その場を立ち去ることせず。
誰もが畏怖と驚愕の眼でカカシと、その腕の中にいる金色の子供を見た。
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